21世紀の現在になって今なおOM-SYSTEMを熱烈に愛するOMマニアにとって、米谷美久氏については語らないではいられない。
オリンパスの一眼レフの歴史を語る上で欠かせない技術者だ。
このサイトの自己紹介のコーナーでも述べたのだが、私は80年代初頭の高校生の頃に自分の進路について悩んでいた。
そんな折、学研のCAPAという雑誌を眺めていたらOLYMPUSの技術者である「米谷 美久」氏のインタビュー記事が載っていて、それにすごく感動したのだ。
これだ!と思った瞬間だ。米谷さんのような技術者になろう!お客様目線で、世界にない素晴らしいカメラを作るそんな仕事をしてみたい。そう思ったのだ。
結果的には別の人生を歩んで現在に至るのだが、私の人生の選択に大きく影響があった人物であるには間違いではない。
ここでざっくりと米谷氏の紹介をしよう。
革新的なハーフサイズカメラの名機・オリンパスペンをこの世に生み出し、そしてOM-SYSTEMの開発、XAのデザイン的ヒット、そして現在のデジタルのOM-Dシリーズへと受け継がれるオリンパス一眼レフの源流を開発した米谷氏。
私はオリンパスの現在があるのも、すべては米谷氏のカメラに対する情熱と技術者としての探求心がもたらしたに他ならないと考えている。
米谷氏が主に手掛けたシリーズ、OM-SYSTEM、XAシリーズはどれもユニークで他社にないモノだった。
そしてしかもそれが現在の常識になっている。
PENの機構・メカニズムはその後あのフジの使い切りカメラ「写るんです」に引き継がれた。
OM-1(M-1)は、それまでの一眼レフの「大きい・重い・うるさい」から「小さく・軽く・静か」な一眼カメラが当たり前のようになった。
XAはカプセル式というデザインと写りの性能を両立させ、はじめてキャップのないカメラ。ポケットカメラの常識を変えた。
技術者としてすべきことは「新しい何かを作りだすこと」。技術者は技術者でも開発者でなければならない。開発者とは世の中にないモノを作る仕事なんだ。
ということを教えてくれた。私はそこにシンパシーを感じたのだ。
せっかくなので、生前の米谷さんへのインタビュー動画を紹介しよう。
PEN編(8:20)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm12720798
OM編(3:39)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm12721188
何かの参考になれば。。。
ネットで次のポスターの画像をみつけた。
当時の商品ポスター広告で、技術者が一緒に写っているなんというのは珍しい。しかも海外向けのマーケティング媒体だ。それだけに米谷氏のことは世界に認められていたということだ。
この素敵なデザインの広告には、米谷氏のメッセージが次のように記されている。
I wanted to design a camera that takes photographs no other camera can.
(どんなカメラにも真似することのできない写真が撮れるカメラを作りたかった)
I studied hands from all over the world, so the OM-1 would fit comfortably in your hands.
(世界中のひとの手を調べつくすことで、あなたの手のひらに心地よくフィットするOM-1が完成した)
<参考>
オリンパス 米谷美久が語る開発秘話 https://www.olympus.co.jp/brand/museum/lecture/vol1/
Wikipedia 米谷美久 https://ja.wikipedia.org/wiki/米谷美久/
当時、同じ会社、同じ職場に席を置いた者として、若干コメントさせて頂きます。
「M氏」の功績ですが、優劣の2面を持って居ます。
当時、SLRではミノルタ、コンパクトではコニカが「オートフォーカス機能」を搭載したカメラを市場導入し、世の中の流れが大きく変わろうとして居ました。
しかし、O社は、「マニュアルフォーカス」のOM-2、XAに固守する余り、世の中の流れに乗り遅れ、最終的には、SLRから撤退せざるを得ませんでした。
私たちは外からみたことしか知らないので、内面を知るかたのコメントとても光栄ですね。
どこか別の機会でも米谷さんのことを詳しく教えていただきたいです。
(憧れが30数年たってから知る本当の姿は辛辣なもとではありますか。。)
AFへの取り組みの遅れはユーザーとしても感じていました。いわゆるαショックですね。
om707はいかにもあわせてて市場投入した感が強く、未熟な商品でした。各社はなんとかAF市場に乗れたのにOMは衰退のきっかけになったようには感じてましたが、、やはりそうだったんですね。