私が一眼レフに出会ったのは、1982年(昭和57年)春、高校一年生のときだ。
高校に入学して最初の友人となったY君がカメラにはまっていて「いっしょにやろう」と誘ってくれたのがきっかけ。初心者の私はY君からとても多くのことを教えてもらった。
親友であり師匠であるYは「Nikon」の大ファンで、「Nikon FE」を持っていた。新規購入でどの機種にしようかと悩んでいた私に、多くのアドバイスと彼と同じ「Nikon FE」を勧めてくれていた。
当時、多くの生徒が定期購読していた学研の「高校コース1年」という雑誌に「MINOLTA X700」のカッコいい広告をみては、CannonがいいかとかPENTAXがいいかとか、どれにしようかと随分と悩んだものだ。
結局、選んだのは「OLYMPUS OM10」だった。
予算も足りず、悩んでいるところにカメラ屋の主人が、随分と安くしてくれ「安いから」という安易な理由だけで候補にさえあがってなかったオリンパス・OM10を手にしてしまった。Nikonを推していたYは少し残念そうだった。(その数カ月後にOM20が発売されて、OM30が登場して、ちょっとショックだった。。)
当時、高校一年生が立派な一眼レフを手に入れるのにはちと無理があった。親に泣きついて、アルバイトの貯金もはたいて、で、やっと手に入れられたのが、当時、一眼レフとして「買える」レベルにあったエントリー機の「OLYMPUS OM10」だったのだ。
当初は決してオリンパスに特別な感情があったわけではない。買える一眼レフカメラがそれしかなかった、それだけのことだけれども、やはり「ひよこ」が最初に持たものを親と思う習性と同じなのか、当時苦労して手に入れたオリンパスが今でも最高の相棒に思えてならくなった。
それからどういうわけかカメラ小僧友達が徐々に増えていく。CanonのA1にはまるやつ、最初にほしかったMINOLTA X700を自慢するやつ、、、どうやら私とYとで、当時の高校にカメラ小僧ブームをつくってしまったようだ。
先生の中にもカメラ大好き先生もいるもので、、その先生を巻き込んで写真部を創設したりもした。本当は進路指導の厳しくてあまり好ましい先生ではなかったのだけれど、写真部の活動の時だけはとってもいい先生になってたりして。学校になぜか現像室があったもんだからそこが部室ともなって、天体観測やら地域の名所案内を写真で紹介するとか、、いろいろな活動ができて楽しかった。
そして高3になると、進路に悩んだ。
カメラに関係ない進路に進んだ人も多かったけれど、カメラマンを本気で目指した部員もでてきたり、師匠のYはというと、レントゲン技師になるんだと。この選択がなかなか素晴らしかった。趣味と実益を両立させていて将来性もある。。ちょっと羨ましかった。その後Yは実際にレントゲン技師として活躍していた。
私は、芸術家にはなれそうもない。職業にできるまでの自信はない。(フィルム入れ忘れて撮影していることがしょっちゅうあるぐらいだから。) それに、レントゲン技師なんてむつかしそう。
そのころ、学研のCAPA雑誌を眺めていたらOLYMPUSの技術者だった「米谷 美久」氏のインタビュー記事が載っていて、それにすごく感動した。これだ!と思った瞬間だ。米谷さんのような技術者になろう!お客様目線で、世界にない素晴らしいカメラを作るそんな仕事をしてみたい。そう思ったのだ。
そこで、そのための大学を探す。東京の大学に唯一「光学」を専門に勉強する学科があった。そこを受けよう。そう決まるとそれしか考えなかった。
が、見事に不合格。浪人でもするつもりだったけど、親が許さなかった。なので3月になって急きょ進路変更・・・そして選んだのがコンピュータの専門学校・・
大学不合格と同時に夢をあきらめた。本当はあきらめたわけではなく、親のゆうことをきいてとりあえず浪人せずに専門学校にいくことになったけれど、1年かけてこっそり勉強して、受かったら専門をやめて大学に入りなおすつもりだった。それも甘い考えで結果的にコンピュータの勉強が面白くなってきて、結局ITの仕事で長年生計をとってきた。
しばらくはカメラとは無関係の生活を送ってきた。
まあたまに頼まれて結婚式に写真を撮るとかそれぐらいしか触らなかった。趣味ではない。趣味は完全にIT関係になっていたから・・・。
ところが、高校卒業からちょうど30年後の2015年になってふたたびOLYMPUSのカメラを手にすることになった。
きっかけは、2つある。一つ目は自分の会社の社員がもっていたOM-Dを触ったこと。
電気がはしる。「なつかしー」「なんか変わってない!」あれから30年の時を隔てて、よみがえるよみがえる。 なんとOMも終了しデジタルとなった今でも、DNAは受け継がれているのだ。そんなことが製品を手にして感じられた。
なんか感動した。
二つ目は、あの親友で師匠だったYが突然の病でこの世を去ってしまったことだ。
まだまだ若いのに・・。さぞかし無念だったろう。人生のはかなさを感じた。
生きているうちになにかを残さねば。Yの分も悔いのない活動をしていい作品をのこさねば。
それから、昔あつめたレンズ群を押しれから整理しはじめ、昔を懐かしつつ、OMを活用していい写真づくりを始めた次第だ。
それが写真活動の面白さや魅力を教えてくれたYへのせめてもの恩返しになるだろうか。どうか行く末を見守っていただければありがたい。