70年代後半になってくると、日本もようやく高度成長期を抜け経済大国として世界に頭角を現しつつある時代だった。
それまでのプロ・セミプロ向けだった一眼レフが、若者にも人気がでてきた。若者でもこぞって一眼レフを買える時代になったのだ。そして電子技術の向上から、オートによる撮影技術が生まれ、気軽に撮れる時代になったことにあるだろう。
35mm一眼レフカメラの自動化・電子化は時代の流れだったのだ。
そのきかっけとなたのは1976年(昭和51年)4月発売開始のキャノン「AE-1」だったのかもしれない。
その後、マニュアルを省いたAE専用機というものが登場してくる。できるだけ部品数を減らし安価にして若者にも購入しやすくした製品だ。
- 1979年 OLYMPUS OM-10
- 1979年 Canon AV-1
- 1979年 PENTAX MV1
- 1980年 MINOLTA X-7
- 1980年 Nikon EM
- 1982年 PENTAX MG
この中でもOM10については特に特徴的で、マニュアルを省いた「AE専用機」という位置づけにもかかわらず、別売りのマニュアルアダプターを取りつけることでマニュアル機なるという、あくまでも基本は「AE専用機」である姿勢を崩していないのが今となってはおもしろい。
そもそも値段をボディ単体で5万円以下にすることが目的だったことから、マニュアルという本来は機能のマイナスをオプションで追加するという・・・。こういう逆転の発想があるところがOLYMPUSのおもしろいところなんだよな。
これらAE専用のターゲット層が若者であることから、各社、それまでの小難しい一眼レフのイメージを払拭するためか、若い女性タレントをコマーシャルに使った。
- MINOLTA X-7 宮崎 美子 「音楽を楽しむように撮ろう」
- PENTAX MG 早見 優 「キミが大人になる頃、僕はプロになっているかもしれない」
- OLYMPUS OM10 大場 久美子「キミが好きだというかわりに、僕はシャッターを押した」
そんな中、1980年宮崎美子を起用したミノルタの「X-7」のCMが大ヒット。ミノルタX-7は瞬く間に当時のベストセラーモデルとなった。(このCMはかなり有名なので説明は省略する)
オリンパスも負けてはいない。1979年のOM10の発売当初から大場久美子を起用した。
いやーなつかしー。私が初めて手にしたカメラはOM10で、それがきっかけで大場久美子が大好きになった。
上記動画の2本目、白いタオルを取ったら赤いビキニがでてくるタイプが最初のタイプで有名だ。
大場久美子の姿をCMのほとんどの時間カメラが追い、そこに「久美子、キミが好きだと言うかわりに、僕はシャッターを押した」というナレーションがかぶさる・・・。
この1カットだけで15 秒を成立させたCMというのはそれまでなかったらしい。そのことが評価されて、CM関連の賞も受賞したと聞く。CMとしての効果はMINOLTA X-7ほどのヒットには至らなかったのだが、作品としての評価は高かったのだ。
さて、なぜ1シーンを1カットで撮ったのか‥‥。聞くところによると大場久美子のわがままが原因だったらしい。
ロケの最中、演出家の人と大場久美子の意見がまったく合わなかった。そのために大場久美子は、半日間のストライキをして現場に行かなかったりした。
これに演出家が「じゃあ、何もしなくていいからそこに立っていなさい」と言ったらしい。それで、ニコリともしないで、むしろにらんでいるような目線で1シーン1カット‥‥。そんな裏話があって、この傑作CMが生まれたわけだ。
そんなつもりで見てみると、確かに怒っている表情にみえるな。私が子どものころの:天真爛漫の「コメットさん」のイメージとはかなり違うけど・・・。
最後に、雑誌のCFフライヤーを掲載。どれも実は表情の違う同じ写真を掲載していたんだね。
此の宣伝については、一際強い思いでが有ります。
その人の名は、宣伝担当の「西本氏」
其れまでメインであった「電通」から「博報堂」に替えた初の作品。
モデルの大場久美子の抜擢を含め、彼のエネルギーが感じられる「仕事」です。
西本さん、いい仕事されましたね。
歴史にのこるCMだったと思います。
まだご健在でしょうか?