OM707/OM101とOM-AFレンズとは

この「OMマニア」を作るにあたり、当初は「OM707とOM101のいわゆる3桁シリーズについては、OMシリーズとしての矜持を感じられないので、本ホームページでは紹介しない」としてきた。

人の心の遷り変わりは激しいもので、「紹介しない」としてたにもかかわらず、プラカメにも興味がでてきて、OM707/OM101がどんだけ面白いカメラなのか(逆な意味で…)関心がでてきて、、OM101を触っているうちに「あれ?かっこいいなぁ」と思うように・・・。

ということで、今回の記事は、 OM707/OM101 とその OLYMPUSレンズ (OM-AFレンズ)についてその歴史から紹介したい。

αショック

1984年までのAF一眼レフといえばペンタックスME-F 、オリンパスOM-30、ニコンF3AF、ミノルタX-600、チノンCE-5 など、レンズ駆動型のAF一眼が存在してたのだが、専用レンズに電源・モーターを搭載して大きく重く、AF専用レンズのみのAF機能対応であり、合焦速度もとても遅く、とても実用的なものではなかった。

1985年(昭和60年)2月 、 私が高校を卒業する直前だったが、 ミノルタから衝撃的なAF一眼レフカメラが発売された。

「α-7000」 だ。

ミノルタ α-7000は、ボディ内にレンズ駆動用電源やモーターを搭載することでフォーカスの速度や精度もマニュアルフォーカスと遜色ないレベルになり、豊富なAFレンズ群を抱える実質的な世界初のオートフォーカス一眼レフカメラシステムとして発表されたのだ。

ちなみに私も、結婚し子どもができたばかりのころ ミノルタ α-7000 にはとてもお世話になった。いつのまにかミノルタに鞍替えしたのもこのころだ。※結局またOLD OMに戻ってきたのだが。

OM707

α7000 の出現がカメラ業界に与えた影響は大きく「αショック」と呼ばれるようになった。以来各メーカーはAF一眼レフシステムの開発へと全力を傾け、日本光学、京セラなどからα-7000の対抗機が次々登場する。

そのような中、1986年(昭和61年)オリンパスから満を持して発表されたのが「OM707」なのだ。

デザインはα7000によく似たイメージだ。名前も7をつけて、よっぽど意識していることがうかがえる。

ある意味、「メーカーあるある」だが、 開発側には営業側からの強い要請があり、対抗製品の開発を急かれたのだろう。 対抗馬を出すことが目的となった製品開発の結果、品質は二の次となり・・・。

こうして産まれたOM707の評価は決して高くない。とても気になるのは、基本性能の低さだ。このOM707の不満情報は数々のブログなどのコンテンツで紹介されているが、私なりに少しまとめてみる。

  • 露出は完全オートのプログラム露出のみ。
  • マニュアルによる露出設定ができない。
  • 絞り優先AE/シャッター速度優先AEすらできない。
  • OLD ZUIKOレンズを装着するときは強制的に絞り優先AEになる。だが、シャ速の表示も露出オーバーアンダーの表示すらない。
  • 露出補正ができない。(AEロックはある)
  • オートフォーカスをマニュアルフォーカスへの切り替えはパワーフォーカス(PF)で。※レンズにピントリングはなく、スライドボタンによりモーターで焦点を調整する仕組み
  • パワーフォーカス(PF) はスライドボタン操作。使いにくいのなんの。シビアなピント合わせは曲芸並みのスキルが求められる。
  • スクリーンが交換できないので、 パワーフォーカス(PF) でのピント合わせは一苦労。
  • 電池ケースの蓋はスライドさせると外れるタイプ。しかもプラスチック製で、強度も弱い。中古市場でもここはかなりの頻度で壊れている。(経年劣化しやすい構造)なので壊れるか無くすか。なくなったらもうこのカメラは使えない。
  • レンズはマニュアルフォーカスリングも絞りリングも脱着レバーも存在しない。ただ、はめるだけで(マニュアルでは)何もできない。
  • 大きさもα7000よりかなりゴッツく大き目。※コンパクトを売りにしてきたオリンパスなのにどうして!?

こうしてOM707は、「発売することのみを目的にした商品は、必ずしも良い商品となりえない」という格言を証明してくれた商品となった。

OM設計者で取締役であった米谷美久氏も「こういうオートフォーカス機は私の趣味ではない」とコメントしていたという。

ただ、グリップ部にポップアップ式のストロボを内蔵したことがとてもユニークだ。グリップを交換式にするという発想が面白い。もしかしたらハイパワーのモータ内蔵グリップ。長時間電池搭載グリップなどグリップ交換によるあたらしい拡張性を考えていたのかもしれない。

他にとりえがないからユニークな発想で勝負したのか。いま思うと、追随しようとするだけのモノマネではなく、アイディアによる独自性を出すことを忘れていないあたりが、さすがオリンパスと感心する。 ただ、残念ながら市場では一眼レフとして評価されなかった。

ただ、OM707に限らず、 当時のα-7000 追随組の製品は皆チャンガラモノだ。

Nikon F-501はオリンパスと同様マウントを共有させて古いレンズも付けられるようにしただけでなくMF機能やマニュアル露出など配慮ある製品だ。けれどもAFは遅いし迷いまくるし。AF性能は α-7000や OM707に遠く及ばなかった。α-7000とOM707の AF性能は 同じような感じ。 もしかしたら同じ ハネウェルの特許をつかっていたからか?

京セラの230AFもペンタプリズム部に着脱式のストロボを装備した OM707にも似た変わり種。壊れやすくAFも実用的でないと不評だった。

そんな中、α-7000は発売と同時に飛ぶように売れ、低迷を続けていた一眼レフカメラ市場を活気づけることに成功。

その後α-9000という上位機種、次世代機の発表(α-7、α-9)まであり、このままミノルタが業界の覇権を握るのかと思われた矢先。。。 

第二のαショックが起きたのだ。。。

ハネウェル特許訴訟事件

1987年(昭和62年)4月、米国のハネウェル社が突然α-7000の自動焦点機構が自社の特許を侵害していると主張して、ミノルタに裁判を起こした。

オリンパスとしては戦々恐々だったのではないか。だって、OM707も同じ ハネウェルの特許を利用してたんだもん。

α-7000は売れているから訴えられた。 OM707 は売れてなかったからすぐには訴えられなかった?のだろうか。売れている商品はたたかれる。覇者の宿命だが、オリンパスとしては「次は我が身」と考えていたのではないか。

結局1992年3月にミノルタがハネウェル社に約165億円の和解金を支払って裁判は終わった。和解金以外にも損害賠償やαの販売価格の10%の使用料を払い続けたらしい。その後ミノルタ社は衰退しついには 2003年8月にコニカと経営統合し、コニカミノルタとなってミノルタの名は消滅することになる。。

OM101

ハネウェル社が裁判を起こした翌年の1988年2月、OM707の後継機としてOM101が発表された。α-7000の後に出たのがα-9000なのだから対抗してOM909としてもよさそうなものだが、いきなり101にリセットした感じになった。

それというのも、 OM101はパワーフォーカス(PF)機でありオートフォーカス機ではないのだ。同時発売のレンズもPF専用レンズとしてオートフォーカス機構が取り除かれた。

すなわちOM707は最初で最後のフイルムカメラ・レンズ交換式AF一眼レフとなった。 つまり撤退したのだ。

裁判がはじまったころのオリンパスはミノルタが負けることが既にわかっていたのだろう。負けるとわかっていたから。自主的に身を引いたのだ。ただ、結局オリンパスも ハネウェル社から訴えられ42.3億円支払ったらしい。

(言い方は悪いがハネウェルにボラれたんだよね。) 

OM707は発売を急ぐあまりに実に品質を無視した中途半端な製品になってしまった。そこで次作機にはかなり反省点を盛り込んで設計と開発を大いに見直し力作をめざしたのだろう。その証拠にOM101はそのデザインも内容も完成度がとても高いカメラだ。

ところが開発中にハネウェル社の訴訟問題がありAFから撤退することになった。さらに設計も見直したのだろうし、開発チームはかなりの苦悩と議論をへて パワーフォーカス(PF)機 として発売することになったのだ。

かつてOM10がマニュアルアダプタというマニュアルを拡張オプションするという商品で市場を驚かせた。じつはこのOM101はOM10同様にマニュアルアダプタがオプションで存在する。ちょっと幅が大きくなってコンパクトなOMとは言えなくなるのが難点だが、マニュアルが使えるようになるのはありがたい。

左が マニュアルアダプタ未装着、右が マニュアルアダプタ 装着の状態だ。

こうしてまたオリンパスらしいユニークなコンセプトのカメラの誕生となったわけだ。そこが面白いところ。

実はOM101の内部には、なぞの空間がある。ここには本来AF機能の基盤を設けていた場所だ。発売後もマイナーチェンジでAF付として発売する可能性も考慮して空間を残したのだろう。裁判でミノルタが逆転勝訴した場合の処置だ。

結局、ミノルタは負けた。OM101も売れなかった。デザインはかっこいいし、パワーフォーカス機としての操作はとても快調で心地よかったのでとても残念だが、その時代の市場は本格的なオートフォーカスカメラシステムを求めたのだ。そのニーズに答えることに成功し業界の覇者として君臨したのが結局のところ後出しジャンケンのキヤノンのEOSシステムだった。。。。

オリンパスはOM707/OM101ともに大失敗作との烙印を押され、フィルム式の レンズ交換式AF一眼レフから撤退というオリンパス・カメラ史の黒歴史を刻むことになる。

OM-AFレンズとは

そんな背景があって、 OM707/OM101ともに短命に終わった。その 専用 交換レンズの種類も少なく発売期間も短く出荷量も少なく、中古市場ではとても稀少な存在だ。

この専用交換レンズ群にはZUIKO(ズイコー)の称号は与えられていない。 「OLYMPUSレンズ」というのが正式だ。マウントはOMマウント(改良型)なのでOMレンズの部類だ。そこで本レンズ群をこのサイトでは「OM-AFレンズ」と呼ぶことにした。

※正式にはPFレンズも混ざっているが、まあそこは多めにみてね。

「OM-AFレンズ」 軍は次の10種しか発売されなかった。

  • 24mmF2.8AF
  • 28mmF2.8AF
  • 50mmF1.8AF
  • 50mmF2PF
  • 50mmF2.8AF
  • 28-85mmF3.5-4.5AF
  • 35-70mmF3.5-4.5AF
  • 35-70mmF3.5-4.5PF
  • 35-105mmF3.5-4.5AF
  • 70-210mmF3.5-4.5AF

35-70mmF3.5-4.5AFと35-70mmF3.5-4.5PFは、前述のとおりハネウェル特許問題の関係でAF機構を付けなかったのがPFとなっただけだ。なので中身が全く同じ。50mmF1.8AFと50mmF2PFも絞り値がわずか違うがほぼ同スペックだ。したがって、同等のものを除くと8種類程度になる。

せめて21mm、85mm、100mm、200mmぐらいで明るめの単焦点があれば現在でも使えたのになぁ。とても残念だ。

でも流石に映りは素晴らしいハズ! OLD ZUIKOにはない設計のレンズもあるらしいし、同スペックでも写りが改善されているのもあると聞く。

そう考えるとこの OM-AFレンズを何としてもデジタルで使いたい。

私は当初カメラと同時に入手しやすい50mmF2PFと35-70mmF3.5-4.5AFしかもっていなかったのだが、それ以外の稀少種(?)を 縁あって海外の知り合いが譲ってくれ、全種そろえるのに成功した。

そこでマウントアダブターを探す。だが探せど探せど存在しない。レンズそのものが少ないのだ。利用者も少なければマウントメーカも製品にできないだろう。

そこで OM-AFレンズをソニーα.Eマウントへのマウントアタプターをついに自作したのだ!

難しかったのは、この OM-AFレンズ は、ピントも絞りも脱着まで全ての機能がカメラ側に依存してることだ。すなわちレンズの全ての機能がマウントアダプター側でできるようにしないといけない。

さてどうやって作ったのか。この続きは次のブログのお愉しみ・・・。つづく