今あらためてOM ZUIKOレンズの魅力

いまでは中古でしか買えない銀塩時代のオリンパスOMマウントの中古レンズたち。(わたしはこれをOLD ZUIKO もしくはOM ZUIKO と表記することにしている)

そして小さくカッコイイデザインのOMシリーズ一眼レフ。

そのデザインをそのまま反映したかのように、癖のないモダンかつ素直な描写性能を楽しむことができるのがOM ZUIKOレンズの魅力だろう。

もちろん、小型軽量のOMシリーズだけあってOM ZUIKOレンズもコンパクトだ。
ミラーレスカメラにマウントアダプタを介して取り付けると、マウントアダプター分余計にレンズが前のめりになるものだが、OM ZUIKOがコンパクトなので、実に収まりが良い。

数々の名玉が存在する、銀塩オリンパスOMマウントのOM ZUIKOレンズ。

わたしはSonyのα7IIなどのミラーレスのデジタルカメラで楽しいんでいるのだが、ぜひより多くの皆さんにその魅力を伝えたいと考えている。

そこで今回はあらためてそのオリンパスが誇る、小型軽量のZuikoレンズたちの魅力をご紹介したい。

銀塩オリンパスOMシリーズとは

銀塩オリンパスOMシリーズとは、1972年に発売されたOM-1(発売当時はM-1)に始まる、オリンパスが展開したフィルム一眼レフのことだ。

OMシリーズは、「小型軽量」をモットーにして開発されたことが最大の特徴だ。

OMシリーズの開発者、米谷美久(まいたに よしひさ)氏は、「大きく」「重く」「動作時の衝撃が大きい」という、「一眼レフの三悪」のないカメラの開発を目指してOM-1を開発したという。
それが、小型軽量かつ、シャッターのショックが少ない名機となって生み出されたのだ。

米谷美久氏についてはこちらもぜひ参考にしていただきたい。

OMの父・米谷 美久 氏について

当時、まだまだマニアや愛好家のものとして捉えられていた一眼レフカメラを、誰でも使いやすいように改良した点で、歴史に残るフィルムカメラのひとつといえるだろう。

そんなOM-1用に始まったのが、今回ご紹介するOM ZUIKOレンズたち。

レンズもカメラに合わせて小型軽量に作られ、使用感も描写力も、非常に良好なものに仕上がっているのだ。

小型軽量のOM ZUIKOレンズ

この銀塩時代のOM ZUIKOレンズに共通する特徴。それは、どのレンズも非常に小型軽量だということだ。

具体的にわかりやすい点として、フィルター径が小さいということが挙げられるだろう。

OM ZUIKOレンズのフィルター径は基本的に49mm。超広角や大口径の望遠ではフィルター径が55mm、72mm、一部では62mmのものも存在するのだが、OM ZUIKOレンズでは可能な限りフィルター枠49mmを堅持している。これも天才開発者米谷美久氏のこだわりでもあった。

なんと、50mm F1.2という大口径レンズでもフィルター径49mmを実現しているのだから、オリンパスの小型化への情熱は本物というほかない。

この、基本フィルター径49mmというスペックは、他メーカーとしては、同様に小型軽量をモットーとしているペンタックスでも存在する。

しかしそのペンタックスは、M42マウント時代の49mmから、1975年に一旦フィルター径52mmを経て、オリンパスへの対抗のため再び49mmに立ち戻ったという経緯がある。すなわちペンタックスの小型軽量化はオリンパスの影響を受けての動きであった。

すなわち当時のOM ZUIKOレンズは、小型軽量の一眼レフレンズとして、まさに本家本元といえるだろう。

OM ZUIKOレンズの特徴

さて、銀塩時代の中古のオールドレンズの楽しみとは、それぞれの癖を楽しむことだ。

豊穣な描写のY/Cマウントツァイスレンズ、精密な解像力のニッコール、鷹の爪といわれる強めのコントラストが特徴のロッコールなど、オールドレンズにはそれぞれに特徴があって面白い。

ではオリンパスのOM ZUIKOレンズの特徴は?

結論をいうと、OM ZUIKOレンズの描写は、非常に「癖がない」。

癖がないことが癖なのだ(笑)。

ただこれは無味乾燥で特徴がないという意味ではない。言うならば、こってりとした肉料理ではなく、新鮮な野菜サラダのような描写だろうか。

けっしてくどさのない、すっきりとクリア、明快な描写だ。

とくに、銀塩オリンパスOMシリーズのカメラ・レンズは、小型軽量ということもあり、山岳写真家に愛好されてきた。

空の青や木々の緑。美しい自然をみずみずしく切り取ってきた名玉たち、それがOM ZUIKOレンズなのだ。

デジタル時代の昨今になりオリンパスは「オリンパスブルー」と評され、空を美しく撮れるカメラとして有名になったのだが、OM ZUIKOレンズの明快な描写は、当時から雄大な青空をそのまま美しく描写してきたのだ。

絞りリングがレンズの前側にある

オリンパスOMレンズの外観・操作上の特徴として、絞りリングがレンズの前側に位置することが挙げられる。

絞りリングについてはこちらでも紹介しているので参考にしてほしい。

OMのシャッター速度調整リングの謎

他社の一眼レフ用レンズでは絞りリングは後ろ側(ボディに近い側)にあることが多いのだが、OMシリーズでは、ユーザーにとって絞りリングは先端にあったほうが使いやすいと考え、この位置を採用している。

レンズ先端の絞りリングはレンジファインダー用中古レンズにもよくみられる配置だ。

本来銀塩OMボディのシャッター速度調整をマウント側にダイヤル式で取り付けたことから、レンズの絞りリングはこれと干渉しないようにレンズ先端に付けられたものなのだが、現在でもなれると使いやすい。

ファインダーをのぞいたまま、レンズの先端に手を伸ばせば絞りなのだから。

OM ZUIKOレンズを楽しもう

透き通った自然な描写のOM ZUIKOレンズ。

マウントアダプターを介してデジタルで使うのもいいし、フィルム一眼レフカメラの名機中の名機、OM-1をはじめとしたかつてのフィルムカメラで楽しむのもいいだろう。

小型軽量で扱いやすく、中古ではお手ごろで入手できる個体も多い。すぐにでもオールドレンズを味わうことができるだろう。

コンパクトでスタイリッシュ、そして高性能のオリンパスOM ZUIKOレンズ。

ぜひいちど試してみないだろうか?

 

OMカメラの名前と立ち位置

以前こちら↓のページでもOMの発売日を年表式でご紹介したのだが、今回はその命名について思い出話とともに触れておきたい。

OMカメラ /PENシリーズ/XAシリーズ/他の発売日年表

1982年春ごろの話だ。

私は高校一年生で初めて買った一眼レフがOM10 だった。それがきっかけで今ではクラシックとなったOMシリーズにはなにならぬ愛情を注いできているわけだ。

オリンパスは5大メーカの中でも後発のカメラメーカで、一眼シリーズはOM-1n、ON-2n、OM10の3機種しかなかった。(penシリーズは除く)。だが、OM1、OM2シリーズの大ヒットにより熱烈なファンの獲得に成功していた。

M-1/OM-1(1972年7月発売)はメカニカルシャッターのマニュアル専用機。発表時世界最小最軽量の一眼レフだ。

OM-2(1975年11月発売)は絞り優先の電子制御シャッターを装備したAE機。 世界初のTTLダイレクト測光。専用ストロボを用いたTTLストロボ自動調光も実現した。

OM-1n/OM-2n(1979年3月発売)はそれぞれのマイナーチェンジ版だ。

OM10(1979年6月発売)はOM2からTTL自動調光を省略、モータードライブ非対応など設計を簡素化した普及版AE専用機だ。

OM10の登場でOM一桁シリーズとOM二桁シリーズとの差別化がはっきりした。一桁はプロ・ハイエンド、二桁はエントリークラスを対象にしている。

そして、1982年10月になり、OM20が発売開始された。OM10の上級版とされているが事実上のOM10の後継機だ。マニュアル露出を内蔵し、モータードライブに対応した。

私は、同年5月にカメラ屋の主人に薦められてOM10を購入した。その数か月後にOM20 が発売されてショックだった。一杯食わされたような気がしたのだ。

さてこのOM20、OM2との違いは何だろう。OM1・OM2ともに発売から時間がたっているとはいえプロ・ハイエンド機だ。それに対してOM20 はエントリークラス機、やはり質感がまるで違う。一通りの機能がそろっているとはいえシャッター音も軽くなにかしら頼りない。普及機としてギリギリコスト削減をした結果だろう。

値段もOM-2nが82,000円、OM20が54,500円だ。

さらに、同年11月、OM30が発売開始された。これには少々びっくりした。OM20がでて1か月にしかたっていない。なんですぐにモデルチェンジしたのだろうか?と思った。

時代はオートフォーカスに向かっていた。ただ当時のオートフォーカスレンズはべらぼうに高いわりに遅くて実用的とはいえない。なのでレンズはマニュアルフォーカスだが、ピントが合致してくれていることを光と音で教えてくれる「フォーカスエイド」として発売されたのだ。(ZUIKO AUTO-ZOOM 35-70mm F4 AFを使う場合のみオートフォーカスが可能)

参考

ZUIKO AUTO-ZOOM 35-70mm F4 AF

OM30発売の丁度一年前、1981年11月ペンタックスから世界初のオートフォーカス一眼レフカメラME Fが発売された。こちらはも35-70mmf4の専用AFレンズを使わないといけないのだが、オリンパスもこれに追い付けとオートフォーカスを研究したに違いない。よって1982年11月OM30 は世界2番目のオートフォーカス一眼レフとなった。

OM20とOM30の発売時期が近いのはこうした市場投入機会を狙ってのことだろう。それに、目的が違う

OM-20・・・エントリークラス用AE機(1982年10月発売開始、54,500円)

OM-30・・・エントリークラス用AF機(1982年11月発売開始、62,500円)

ところが、市場はそう見なかった。OM20が古い方、OM30が新しい方となちゃったのだ。よってOM20 はあまり売れなかったのだ。

やはり10・20・30となると古い数字はかすんでしまうのだ。

 

それからOM-1,OM-2が発売から時間がたっていることもあって「そろそろ次のOM一桁がでるんじゃないか」という噂が広がってきた。

1982年1月のカメラ情報誌では多くの企業が次に出るであろう「OM-3」について予想がだされていた。

「オリンパスは立て続けに新製品をだしてきている。OM一桁も新製品がでるらしい、次はやはり、AFに力を入れるんじゃないか?・・いや、プログラムAE機能搭載じゃないか」・憶測が憶測を呼び、新製品「OM-3」に対する期待が高まっていたところ、、ついに1983年10月になって新製品が発表された・・・

え?

なんと出たのは「OM-4」だったのだ!!

OM-1、OM-2とくれば次はOM-3だろ。ふつー。これにも私はびっくりした。こういうのがオリンパスらしいところだ・・・。

しかもご存知の通り、スポット測光という超変化球の独特な機能付きだ。

となると、OM-3は欠番か?

などと考えていたところその1年後、

1984年10月になってOM-3が登場したんだ。しかもOM-2SP(SpotProgram)も同時に。。。

これも仰天ニュースだった。

OM-4の発売時も仰天だったが、4のあとに3が出たということだけでなく、2も一緒にでたのだ。

我々の見方は1の次が2、そして3、4、5だったのだがこのカメラの名称についている数字は決してバージョンを表していないということに初めて気づいたんだ。

OM-1の後だからOM-2じゃなかったのだ。たんに名称だったのだ。

OM-1・・メカニカルシャッターのマニュアル専用機。この意思を継いだのがOM-3だった。

OM-2・・ハイエンドに必要な完成度の高いAE機能を目指す。この意思を引き継いだのがOM-4か。

ではOM-2SpotProgramは??

実はOM-2の意思を引き継いだのはOM-4ではない。OM-2SpotProgramこそがOM-2/OM-2nの後継機なのだ。

OM-4はその上を行くマシンなのだ。そしてその後OM-4Tiとしてマイナーチェンジされこれがロングセラー機となっていく・・。

そして1985年4月、マルチパターン測光で名をはせたニコンFAの対抗機としてOM40が投入されていく。ESパターン測光と称する分割測光により逆光補正の自動化がメインだ。

  • ハイエンドクラス層向け OM-4 ⇒ OM-4Ti
  • ミドルハイエンド層向け OM-2/OM-2n ⇒ OM-2SpotProgram
  • メカニカルニッチ層向け OM-1/OM-1n ⇒ OM-3 ⇒ OM-3Ti
  • エントリークラス層向け
    ・超入門   OM10
    ・中級    OM20
    ・AF欲しい人 OM30
    ・逆光対策  OM40

一連の発売時期とマシンの名称で、メーカーの意思を理解することができた。それにしてもびっくりさせられた。いまだかつてこれを超えるびっくりした商品発表はない。

大切なのは商品名にある数字は、数字を含めても名前だということ。バージョンではないのだ。

今ではmk IIとかマークIII とかいう表現があるが、よく考えられた命名規則だよな。当時からそれを採用していたらよかったのに。

希少な輸出用モデルOMG とは?

このほど、状態のいい「OMG」をオークションで安価に入手できたので少しご紹介したい。

「OMG」とは、オリンパスOM20の輸出用モデルのことだ。米国のサイトで、”USA only”という記述を見つけたので、米国のみがOMGだったのかもしれない。中古市場ではちょっと珍しい。

OM20との違いは・・全くない! OM20のロゴだけOMGになっているだけ。

かつて松下電機がブランド戦略として”National”というブランドで国内市場を席捲していた。海外に進出する際にこまったことになった。”National”という名称は海外の多くの国々では商標登録されていて使えなかったのだ。そこで海外では”Panasonic”となった。それが現在では国内でも統一のブランド名となり、ついに会社名もパナソニックになった。海外での商品販売ではこうした商標登録問題が現在でもよくあることだ。オリンパスの製品も同様だろう。

OM20はOM10に続く第2世代目のOM-Systemコンシューマ用一眼レフだ。(プロ・ハイエンド用はOM-1、OM-2、とつづく一桁 シリーズだ)。

そのOM20をアメリカで販売するにあたってはだれかに商標登録されていてやむえをえずOMGとしたのだろう。

OM10、OM20、OM30、OM40と続くなかで、OM20 だけが輸出版はOM-Gとなっている。同様に、「OM-4Ti」も輸出用は「OM-4T」だなぜ”i”がなくなったのかはわからない。だれか教えてもらいたい!

ところでOM20の立ち位置だが非常に微妙なところだ。公式にはOM20はOM10 の上位機種とされている。

om10OM10は1979年6月に発売開始された。当時はやりの若者向けの「AE専用機」だ。コストを極限まで下げお手軽に手にできることで人気を博した。このころ中高年生に一眼レフブームを起こすことになったのだ。OM10は基本AE専用機でマニュアルアダプターの使用で初めてマニュアル操作が可能となるまさに入門機だ。発売価格は58500円

その3年ちょっと後になり1982年10月に登場したのがOM20。マニュアル露出を内蔵し、モータードライブに対応。OM20はOM-2からメータードマニュアルやTTLダイレクトストロボ測光を省かれているものの、廉価版とはいえより完成度が高くなった機種だ。価格は52,500円

あれれ?安っ!

OM10の上位機種と言われている商品にもかかわらず定価は安いんだよね。

実際はOM10の3年後に登場した後継機というのが実際は正しい。だが、後継機というとOM10の在庫が処分できない。なので上位機種としての位置づけにしてOM10もさらに値引きして販売していたのだろうな。

ということでOM20の立ち位置は「事実上のOM10の後継機」というのが正しかろう。

ただ、時をへて中古市場ではOM10のほうがカメラ女子にも人気だ。OM20 の方がおすすめなんだけどね。

 

ちなみにOM10はブラックとシルバー両方持っている。OM20はブラックのみ持っていてシルバーがそろそろほしいと思っていた。で、今回OMGのシルバーが入手できたのはラッキーだった。

若いころはブラックがカッコイイと思っていた。だが持ち比べると今ではシルバーのほうが物欲心を満たしてくれる気がする。シルバーの方がかっこよく思えてきた。カメラ女子たちもシルバーが「かわいい」という。OM-1やOM-2のシルバーはアルミ素材がそのまま露出した形状なのだがOM10~30までのシルバーは(OM40はシルバーは出なかった)塗装だ。なので削れば真鍮の黄色っぽい素材がでてくる。だし、軽量化とコスト削減の簡略化を目指していたためとても軽い。シャッター音もとても軽い。これでモータドライブよくつけられたなぁというある意味逆に感心するチープさがある。このチープなのがいい。久々に撮影にでもいこうかな。35-70のプラレンズつけて~。

昭和のアイドルと「 宇宙からバクテリアまで」

昭和のアイドル

OM10のキャンペーンガールであった大場久美子さんには「一億人の妹」というキャッチフレーズがついていた。

昭和のアイドルにはたいていこのようなキャッチフレーズがあって、その個性を印象強く打ち出し売り出していたわけだ。

ちなみに主な昭和アイドルのキャッチフレーズがこちら。

石川秀美|さわやか天使
荻野目洋子|ハートは、まっすぐ。
柏原よしえ(柏原芳恵)|ちょっと大物
河合奈保子|ほほえみさわやかカナリーガール
菊池桃子|REAL1000%
小泉今日子|微笑少女
酒井法子|おきゃんなレディ
中森明菜|ちょっとエッチな美新人娘
西村知美|一秒ごとのきらめき…知美
早見優|少しだけオトナなんだ…
松田聖子|抱きしめたい! ミス・ソニー
松本伊代|瞳そらすな僕の妹
山瀬まみ|国民のおもちゃ新発売

いま思えば、アイドルも商品だ。昭和のアイドルであっても、こうしたコンセプトが個性豊かで印象的なキャラの人物は、平成末期の現在までもしっかり活躍されている。コンセプトがしっかりしていることが商品をヒットさせる極意といえるのだろう。

宇宙からバクテリアまで

さて、本題だが、「宇宙からバクテリアまで」とはOLD OMシリーズの製品コンセプトだ。
オリンパス社のホームページににかつて表示されていた説明を一部抜粋しよう。

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一眼レフカメラの「三悪」克服
「大きい」「重い」「シャッターの作動音、ショックが大きい」という3つの欠点
「三悪」。
これを追放したのはOMシリーズです。
世界最小最軽量のボディと【 宇宙からバクテリアまで 】というコンセプトを実現するための壮大なシステム。
OMシリーズは、大ヒット商品となりました。
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これまでOLD OMシリーズを研究してきて、つくづく思うのは、モノづくりには基本があって、当時のオリンパスはその通りにやってるなーということだ。

売れるモノづくりの基本とは

1.よいコンセプトがある

その製品が目指している方向性や特徴を一言であらわすことだ。
よく、長いプレゼンのあと聴講者から「ひとことで言ってどういうこと?」と聞かれることがあると思う。
一言で言いきれるフレーズで表現できるコンセプトがいかに大切か。

2.特徴/個性がある

後発メーカであればなおさらだ。
先発と同じような商品で勝ち目はない。
いかに先発がもっていない領域を探すかだ。

新しい市場を開拓してこそ、市場占有率を高める手段となる。オンリーワンとはナンバーワンを目指すための手段なのだ。

5台カメラメーカの中で一眼レフ市場にはオリンパスは最後に参入した。だからこそ、強烈な特徴とオリジナリティが必要だった。

その点では、そもそも「顕微鏡メーカ」であるオリンパスの本来の得意分野である「ミクロ領域からマクロ領域まで幅広いシステムが構築できる」というコンセプトは正しい。

だが実際にはそれで売れるとは限らない。

やはりOMだけが、非常にコンパクトで軽くて静かという強烈な個性があったのだ。だからオンリーワンであり、小さい一眼の新しい市場ができた。ニーズをもつユーザもそこにあったのだ。

 

3.品質のこだわりを捨てない

開発した、米谷美久氏が素晴らしい方だったからこそなのだが、米谷氏の素晴らしさとは「写りのこだわり」を捨てなかったことにあるだろう。

こだわりとはなにか。

OMの場合であれば、第1に品質だ。そして第2に商品特徴だった。

品質を保つためにはたとえ商品の特徴を捨てても構わない。特徴を出す(売れるようにする)ためだけに品質のこだわりを捨てたりしないということだ。

それはズイコーレンズをみればわかる。

小さく扱いやすいレンズが多いものの、小さくしたために写りがわるいなんていうZUIKOレンズは一つもないのだ。

中には逆にサイズを大きくしたレンズもあるぐらいだ。

いかに品質にこだわるかが大切なのだ。

penにしてもXAにしてもその後のμにしてもコンパクトカメラであるにもかかわらず、プロがサブ機として選ぶぐらい写りには定評があった。

商品の品質はそれだけで営業をしてくれるものなのだ。

中森明菜とOM

商品づくりには「コンセプト」「特徴」「品質」が大切と述べた。

これに付け加えると、「真似をしない」ということがあげられる。米谷氏のインタビューにもあったのだが、「今あるものは作る必要はない。ないから作るのだ」との発言があった。
今なお心揺さぶる言葉だ。トップの真似をしないことも売れるモノづくりとして必要なことだろう。

 

さて、冒頭の昭和のアイドルのケースで言えば、中森明菜のキャッチフレーズは「ちょっとエッチな美新人娘」だった。

昭和の時代のアイドルが「ちょっとエッチ」とは、鮮烈な印象だっただろう。注目は集めたはずだ。でもそれで売れたわけじゃない。やはりその後の明菜の個性だ。

当時トップアイドルは松田聖子。他のアイドルたちは髪型や振り付けまで聖子のコピーのようだった。でも明菜だけは違った。ダークな歌をうたい。ちょっと不良ポイ。アイドルらしくない振る舞いが個性となった。で、歌は最高にうまかった!(最高の品質!)

中森明菜はOMシリーズと重なる。

 

OMが登場した1970年代初頭、当時のトップはダントツ、ニコンだった(1980年代前半くらいまではニコンのカメラが圧倒的にシェアが強かった。1990年代からキヤノンがシェアを拡大し、現在まで長らくキヤノンが圧倒的に強い)

で、当時はキヤノンをはじめとした他のメーカ達はしきりにニコンっぽいカメラをつくっていた。

そんな中、新規参入のオリンパスのOMシリーズは、他のカメラの特徴の真反対をいく「小さい」「軽い」「静か」というカメラづくりにこだわった!(現在これはあたりまえになったが)

そして写りは最高に良い。まさしく、中森明菜じゃないか!

こういう取り組みが商品開発には必要だよね。

OMのシャッター速度調整リングの謎

M-1(OM-1)から始まって、その最終系のOM-3Tiまで、OMカメラシリーズの特徴的な構造といえば、シャッター速度のダイヤルの位置にあるだろう。

今回は、そのOMカメラの独特な特徴の一つであるシャッタ速度ダイヤルについて取り上げてみた。

シャ速リングの位置の訳

多くのカメラでは、通常、軍艦部位置(巻き上げレバー・シャッターボタンの周辺位置)にシャッター速度ダイヤルが付いてる。

ところが、オリンパスOMシリーズでは、シャッター速度調整をリング形式で(「シャッター速度調整リング」と呼ぶ)、マウント基部(レンズマウントの付け根)にあるのだ。

そのため、ほとんどのOM ZUIKOレンズはレンズの先端側に絞りリングを配置している。(他社の多くは絞りリングを手前・マウント基部側に配置している)

 

こういう形状になったのは実は理由があった。

設計者の米谷美久氏は、製品開発のコンセプトとして「大きく・重たく・うるさい三大悪を排除する」とした。

そのコンセプトに基づいて、他社にまねのできない、より小さいカメラの開発が始まった。聞けば、当時のニコンの半分の大きさ、半分の重さを目指していたというから驚きだ。

だだ、必要なものは逆に大きくした。巻き上げレバーの形状や、マウント系やミラー、暗室部の容積は大きくしたのだ。そのためにギアやシャッター機能など必要な部品の収納容積はさらに小さくなる。小さな隙間ぎっしりと部品を詰め込む必要がでてきた。

こうしたことから、シャッター機能は暗室部の下部に配置せざるを得なくなった。これをカメラ上部の軍艦部から操作するのには無理がある。そのような工夫の中から、シャッター速度ダイヤルをリング式として、マウント基部に配置することになったのだ。

これがかえって操作性を充実させ、さらに当時最小最軽量というコンパクトさで世界を驚愕させたのだ。当時としては画期的な発想だったといえよう。

絞り優先マニュアル

私がOMを初めて手にした時、正直少々戸惑った。なぜなら、当時のニコンやキャノンが軍艦部においている様々なレバーやらダイヤルがかっこいいと思ったからだ。。正直、物足りなさを感じた。

ところが、使ってみて、そして慣れてきて、つくづくこの操作感には関心させられるのだ。

過去のAEブームの時代のオートといえば、「絞り優先AE」が中心だった。

絞りだけを操作すればシャッター速度は勝手にカメラが決めてくれる。なので、ササッと絞りの位置に手が行くことが肝要となる。

ところがマニュアル操作だとどうだろう。絞り優先で考えた場合には、絞りをセットしておいて、露出計に合わせ自分でシャッター速度を状況に応じて機敏に変えなければならない。

こういう状況を考えたときに、軍艦部にシャ速ダイヤルがあるのは頂けない。いちいち、ファインダーから目を離して、軍幹部を操作しシャッターを調整。そして、またファインダーをのぞきこんで露出を確認・・これを繰り返す操作となる。

 

これがOMの場合ではこうなる。

ファインダーをのぞき見ながら、絞りをセット、シャ速度を調整しながら露出を合わせる。

レスポンス対応能力がまるでちがうのだ。

しかもシャ速はいちいち目で確認する必要がない。なぜなら、すぐに体で覚えられるからだ。

リングを回すための左右の突起の位置が水平なら60秒だ。右を上げれば速度は速くなる。左を上げれば、1秒までだ。左をあげるときはブレに最大限注意だと体で覚えればよい。

軍艦部にシャ速ダイヤルがある場合、ファインダーから目を離さず、体で・・・というわけにはいかない。クリクリ回す、どこまで回したのか、現在のシャ速値は、さっぱりわからなくなるだろう。

ファインダーに速度が表示されるカメラもあるが、どうだろう。なぜなら、ファインダーをのぞきながら、レスポンスに備え、右手人差し指をシャッタ―ボタンにおいた状態で、どうやって右上部にあるシャッター速度ダイヤルを回すのだ?

赤塚不二夫のシエーのポーズになっちゃうだろー!!(笑)。

 

よく、OMの新機種が発売されるたびに雑誌などで、「OMはシャ速を確認するために前のめりにならないと見えにくい」などと評価するシッタカ記事を見ることがあった。

これは使ったこともない人の詭弁だ。使ってみればわかる。シャ速はダイヤルを目で確認しなくとも触って使ってみればわかるものなのだ。

つまり、マニュアルによる絞り優先撮影にはとても利便性が良い。チャンスに素早いレスポンスが可能だ。もちろん絞り優先AEは絞りだけを動かせばよい。

さらにはシャッター速度優先AEの場合にも有効と考えられる。だが、OMは最後までシャッター速度優先AEの登場はなかったのが残念だ(OM-2Spot&Programや、om40はProgramAEだった。)このOMの独特の形状を活かしてシャッター速度優先AEを実現すればよかったになとつくづく思う。

他にもあるシャ速リング式

OMの特徴な作りとして紹介したのだが、実はこの「シャッター速度調整リング式」はOMだけではない。

Nikon ニコマートFT、マミヤ NC1000S にも採用されている。

だが、ニコンもマミヤもすぐにやめてしまっている。レンズの絞りリング位置はマウント側でもあり、シャ速リングと絞りリングが非常に近いために、干渉し、使いにくいカメラになってしまったことが理由だろう。OMの場合はレンズもカメラも同時にOMシステムとして統一思想で生まれたカメラシステムだ。従って、操作的な統一ができていたのがうまくいったように感じる。

それにニコンは、絞り値をカメラに伝えるためのレンズの爪機能がその後不要となっても、ニコンの象徴として残された。こうしたアイデンティティーとの兼ね合いもあったのか、構造上無理があったか、シャ速リング式は廃止になった。写真でみてもなんとなく使いづらそうだ。

それにニコンは絞り値を光学的にファインダーから確認できる機種が多くあった。これは正直羨ましかった。OM機の場合にはどうやっても絞り値は目視しないとわからない。

それに、シャ速の操作性はばっちりだったが、絞りリングの位置はレンズ毎で位置が違うので、一瞬探すのに戸惑うことがある。まあこれについてはやむを得ないだろう。でもこの形状のおかげでシャ速の快適な操作が可能なのだ。我慢しよう。

近年のデジタル機にも採用してほしい

ところで近年のデジタル一眼レフ(ミラーレス)は本当にすごいと思う。かつてではできなかった絵作りができるというだけで感動だ。

ただ、シャ速や絞り値調整の操作性については意見がある。

 

例えばOM-D EM-1だ。

シャッターボタン近くの軍幹部にある二つのダイヤル、フロントダイヤルで露出補正。リアダイヤルは絞り優先オートでは絞り調整、シャッタースピード優先オートではシャッター速度を調整するようにできている。

最近のほとんどのデジタルカメラはこれの操作であたりまえのことであろう。でも私にはこの親指でクリクリするのはすきじゃない。まどろこしいのだ。F32からF2までさっと移動させたいのに、親指でクリクリクリクリやり続けなければならない。ブレの原因にもなるし、、そのうちシャッターチャンスを逃すかもしれない。

 

かつてのOMユーザ、オールドOMを親しんだ世代はみな、レンズのピントと絞りとならんでシャッター速度を左手で調整する。左手でピントリング、絞りリング、シャ速リングを回すのだ。

右手人差し指はシャッターに集中だ。だからいい作品作りが可能になるのだ。このスタイルは体に染みついている。これこそオリンパスの伝統でありOM文化といえよう。

どうして昨今のOM-Dのデジタルカメラでも、この操作性のOM文化を継承しようとしなかったのだろうか。伝統とは形だけでなく心の問題だ。

右手の親指クリクリよりもマウント周りににリングをつけてササーとレンズを支える左手で操作したほうがレスポンスは絶対にいいはずだ。

こうしたオリンパスが持つ操作性におけるオリジナリティを大切にした商品をこれからも出してほしいものだ。

 

あり得ないとは思うが、35mmフルサイズでOMマウントを活用した復刻版OMシリーズをデジタルで出してほしいものだ。その場合もちろんシャ速と絞り値はリング式でお願いしたい。もちろんシャッター速度優先AEも実現さえて。

まあ無理か。

OM-SYSTEM カメラの歴史

今回はOM-SYSTEMのカメラ本体の歴史を紹介する。

オリンパスM-1/オリンパスOM-1(1972年7月発売、1973年5月改名)

M-1

M-1

発売当時、135フィルムを使用する24×36mm(ライカ)判のレンズ交換式一眼レフカメラでは、世界最小最軽量であった。それまでの常識を覆す小さく軽いボディとエアダンパーを併用した静かなシャッター音は周囲を驚かせ大きな反響を巻き起こすことになる。
小型化のためにシャッター秒時制御のガバナーをミラーボックス下部に配置、シャッター速度ダイヤルをマウントと平行つまり同心円上に配置し、これがOMボディの特徴となった。
エルンスト・ライツ(現ライカ)からのクレームに対応して改名しM-1からOM-1となった。

オリンパスOM-1MD

OM-1MD

OM-1MD

オリンパスOM-1にモータードライブを装着するためには底蓋交換が必要であったが、最初から装着可能な底蓋としたもので、内部機構に変更はない。

MDのエンブレムがついているが、ちゃちなシールなので現在ほとんどが剥がれかけている。海外向けは右下につけられているが、金属のエンボスのエンブレムで、グレードがよい。

オリンパスOM-2(1975年11月発売)

OM-2

OM-2

フィルム面から反射して来た光量を測って露光をコントロールするTTLダイレクト測光を採用、これによって撮影中の露出制御が可能になり、専用フラッシュを用いたTTL自動調光を実現した。自動露出の上限は60秒。

オリンパスOM-1N(1979年3月発売)

アクセサリーシュー4使用によりフラッシュ充電完了表示確認、フラッシュ適正発光表示確認がファインダー内で可能になった。その他フラッシュ動作改善。

オリンパスOM-2N(1979年3月発売)

アクセサリーシュー4使用によりフラッシュ充電完了表示確認、フラッシュ適正発光表示確認がファインダー内で可能になった。その他フラッシュ動作改善。自動露出の上限を120秒に延長。

オリンパス OM10(1979年6月発売)

OM10

OM10

フラッシュ撮影時のTTL自動調光を省略・フィルム自動巻上げについてモータードライブには対応せずワインダーのみに対応するなど設計簡素化した普及版AE機。ボディー単体では絞り優先オート専用機だが、マニュアルアダプターというオプションを装着することでマニュアル露光による撮影が可能となる。

オリンパスOM20(1982年10月発売)

オリンパスOM10の上級版。マニュアル露出を内蔵し、モータードライブに対応。

オリンパス OM30(1982年11月発売)

35-70mmF4の純正オートフォーカスレンズと組み合わせてオートフォーカス撮影が可能。M.インフォーカストリガーコード、ワインダーを併用することでピントのあった瞬間にレリーズされる「ゼロインフォーカス」機能による撮影が可能。

オリンパスOM-4(1983年10月発売)

中央重点測光の他、最大8点のマルチスポット測光機構を持つ。新開発のモータードライブ2使用により、フィルムの自動巻き戻しに対応。

オリンパスOM-2SP(1984年10月発売)

プログラムAE機能と、マニュアル露出時のスポット測光機能を搭載。OM-2の名を冠しているものの完全新設計の機種。

オリンパスOM-3(1984年10月発売)

シャッター制御は最高速1/2000秒・全速機械式のマニュアル専用機。中央重点測光とマルチスポット測光機構はオリンパスOM-4と同等。生産台数が少なく、製造中止後人気が上がりオリンパスOM-3Ti発売までプレミアム価格で取引されていた。

オリンパスOM40(1985年4月発売)

ESパターン測光と称する分割測光により逆光補正の自動化を実現。プログラムAE機能も搭載された。TTLダイレクト調光に対応。愛称「逆光強」。

オリンパスOM-4Ti(1986年7月発売)

オリンパスOM-4のチタン外装バージョン。専用ストロボ使用により、高速シャッター時にも対応する「スーパーFP発光」同調機能を追加。

オリンパスOM707(1986年10月発売)

オートフォーカス。グリップ部から縦長のストロボがポップアップするギミックが特徴。愛称「ストロボーグ」。

オリンパスOM101(1988年2月発売)

オートフォーカス機能はなく、OM-707用オートフォーカスレンズを使用するときは本体側のダイヤルを回してピントを合わなければならない。マニュアルアダプター2によりマニュアル露出可能。工業用内視鏡デジタルカメラシステム専用ライカ判カメラSC35 (TYPE15)として長らく現行であった。

オリンパスOM-4Tiブラック(1989年4月発売)

オリンパスOM-4Tiの黒塗装バージョン。

オリンパスOM-3Ti(1994年11月発売)

OM-3Ti

OM-3Ti

オリンパスOM-3のチタン外装バージョン。TTLダイレクト調光及びスーパーFP発光制御を追加。生産に当たっては社内に資料が少なかったため、中古で購入したOM-3を分解し、構造を解析したと言われている。

オリンパスOM2000(1997年7月発売)

マニュアル専用機。コシナからのOEM。基本設計が共通のコシナOEM品には、リコーXR-8スーパー(Kマウント、ペンタプリズムが銀蒸着)、ニコンFM-10(ニコンFマウント、ミラーバランサー搭載)がある。

~ウィキペディアより抜粋~

大場久美子とOM10


70年代後半になってくると、日本もようやく高度成長期を抜け経済大国として世界に頭角を現しつつある時代だった。

それまでのプロ・セミプロ向けだった一眼レフが、若者にも人気がでてきた。若者でもこぞって一眼レフを買える時代になったのだ。そして電子技術の向上から、オートによる撮影技術が生まれ、気軽に撮れる時代になったことにあるだろう。

35mm一眼レフカメラの自動化・電子化は時代の流れだったのだ。

そのきかっけとなたのは1976年(昭和51年)4月発売開始のキャノン「AE-1」だったのかもしれない。

その後、マニュアルを省いたAE専用機というものが登場してくる。できるだけ部品数を減らし安価にして若者にも購入しやすくした製品だ。

  • 1979年 OLYMPUS OM-10
  • 1979年 Canon AV-1
  • 1979年 PENTAX MV1
  • 1980年 MINOLTA X-7
  • 1980年 Nikon EM
  • 1982年 PENTAX MG

om10この中でもOM10については特に特徴的で、マニュアルを省いた「AE専用機」という位置づけにもかかわらず、別売りのマニュアルアダプターを取りつけることでマニュアル機なるという、あくまでも基本は「AE専用機」である姿勢を崩していないのが今となってはおもしろい。

そもそも値段をボディ単体で5万円以下にすることが目的だったことから、マニュアルという本来は機能のマイナスをオプションで追加するという・・・。こういう逆転の発想があるところがOLYMPUSのおもしろいところなんだよな。

これらAE専用のターゲット層が若者であることから、各社、それまでの小難しい一眼レフのイメージを払拭するためか、若い女性タレントをコマーシャルに使った。

  • MINOLTA X-7  宮崎 美子 「音楽を楽しむように撮ろう」
  • PENTAX MG   早見 優  「キミが大人になる頃、僕はプロになっているかもしれない」
  • OLYMPUS OM10  大場 久美子「キミが好きだというかわりに、僕はシャッターを押した」

そんな中、1980年宮崎美子を起用したミノルタの「X-7」のCMが大ヒット。ミノルタX-7は瞬く間に当時のベストセラーモデルとなった。(このCMはかなり有名なので説明は省略する)

オリンパスも負けてはいない。1979年のOM10の発売当初から大場久美子を起用した。

 

いやーなつかしー。私が初めて手にしたカメラはOM10で、それがきっかけで大場久美子が大好きになった。

上記動画の2本目、白いタオルを取ったら赤いビキニがでてくるタイプが最初のタイプで有名だ。

大場久美子の姿をCMのほとんどの時間カメラが追い、そこに「久美子、キミが好きだと言うかわりに、僕はシャッターを押した」というナレーションがかぶさる・・・。

この1カットだけで15 秒を成立させたCMというのはそれまでなかったらしい。そのことが評価されて、CM関連の賞も受賞したと聞く。CMとしての効果はMINOLTA X-7ほどのヒットには至らなかったのだが、作品としての評価は高かったのだ。

さて、なぜ1シーンを1カットで撮ったのか‥‥。聞くところによると大場久美子のわがままが原因だったらしい。

ロケの最中、演出家の人と大場久美子の意見がまったく合わなかった。そのために大場久美子は、半日間のストライキをして現場に行かなかったりした。

これに演出家が「じゃあ、何もしなくていいからそこに立っていなさい」と言ったらしい。それで、ニコリともしないで、むしろにらんでいるような目線で1シーン1カット‥‥。そんな裏話があって、この傑作CMが生まれたわけだ。

そんなつもりで見てみると、確かに怒っている表情にみえるな。私が子どものころの:天真爛漫の「コメットさん」のイメージとはかなり違うけど・・・。

 

最後に、雑誌のCFフライヤーを掲載。どれも実は表情の違う同じ写真を掲載していたんだね。

OMカメラ /PENシリーズ/XAシリーズ/他の発売日年表

私が持参するOMコレクション他の発売日の年表を作ってみた。何かの参考になれば幸いだ。

なお、一眼レフのレンズは主にセット販売される場合のレンズ名を記載した。

発売年月 カメラ名称 レンズ フィルムサイズ カテゴリー
1952(昭和27)年04月 オリンパス クロームシックス ⅢB Zuiko
75mm F2.8
120
(6×6とセミ版)
6X6版スプリングカメラ
1954(昭和29)年11月 オリンパス フレックス A3.5 Zuiko 75mm F3.5
F-Zuiko 75mm F3.5
120
(6×6)
6X6版二眼レフカメラ
1963(昭和38)年09月 オリンパス PEN F F1.8 F-ZuikoオートS
38mm F1.8
135
(ハーフ)
ハーフ版一眼レフカメラ
1965(昭和40)年04月 オリンパス PEN F F1.4 G-ZuikoオートS
40mm F1.4
135
(ハーフ)
ハーフ版一眼レフカメラ
1966(昭和41)年10月 オリンパス PEN FT F-ZuikoオートS
38mm F1.8
135
(ハーフ)
ハーフ版一眼レフカメラ
1967(昭和42)年 月 オリンパス PEN FT F1.2 H-ZuikoオートS
42mm F1.2
135
(ハーフ)
ハーフ版一眼レフカメラ
1968(昭和43)年03月 オリンパス PEN EES-2 D-Zuiko
30mm F2.8
135
(ハーフ)
ハーフ版レンズシャッターカメラ
1968(昭和43)年xx月 オリンパス PEN FT ブラック G-ZuikoオートS
40mm F1.4
135
(ハーフ)
ハーフ版一眼レフカメラ
1971(昭和46)年06月 オリンパス FTL F-ZuikoオートS
50mm F1.8
135
(35mm)
35mm一眼レフカメラ
1972(昭和47)年07月 オリンパス M-1 G-ZuikoオートS
50mm F1.4
135
(35mm)
35mm一眼レフカメラ
1973(昭和48)年05月 オリンパス OM-1 G-ZuikoオートS
50mm F1.4
135
(35mm)
35mm一眼レフカメラ
1974(昭和49)年10月 オリンパス OM-1
(MD)
G-ZuikoオートS
50mm F1.4
135
(35mm)
35mm一眼レフカメラ
1975(昭和50)年11月 オリンパス OM-2 G-ZuikoオートS
50mm F1.4
135
(35mm)
35mm一眼レフカメラ
1979(昭和54)年03月 オリンパス OM-1N G-ZuikoオートS
50mm F1.4
135
(35mm)
35mm一眼レフカメラ
1979(昭和54)年03月 オリンパス OM-2N G-ZuikoオートS
50mm F1.4
135
(35mm)
35mm一眼レフカメラ
1979(昭和54)年05月 オリンパス XA F-Zuiko
35mm F2.8
135
(35mm)
35mmレンズシャッターカメラMF
1979(昭和54)年06月 オリンパス OM10 F-ZuikoオートS
50mm F1.8
135
(35mm)
35mm一眼レフカメラ
1980(昭和55)年06月 オリンパス XA2 D-Zuiko
35mm F3.5
135
(35mm)
35mmレンズシャッターカメラMF
1982(昭和57)年10月 オリンパス OM20 F-ZuikoオートS
50mm F1.8
135
(35mm)
35mm一眼レフカメラ
1982(昭和57)年10月 オリンパス XA1 D-Zuiko
35mm F4
135
(35mm)
35mmレンズシャッターカメラMF
1982(昭和57)年11月 オリンパス OM30 Zuikoオートズーム
35-70mm F4
オートフォーカス
135
(35mm)
35mm一眼レフカメラ
1983(昭和58)年10月 オリンパス OM-4 G-ZuikoオートS
50mm F1.4
135
(35mm)
35mm一眼レフカメラ
1984(昭和59)年10月 オリンパス OM-2 SP G-ZuikoオートS
50mm F1.4
135
(35mm)
35mm一眼レフカメラ
1984(昭和59)年10月 オリンパス OM-3 G-ZuikoオートS
50mm F1.4
135
(35mm)
35mm一眼レフカメラ
1985(昭和60)年04月 オリンパス OM40 F-ZuikoオートS
50mm F1.8
135
(35mm)
35mm一眼レフカメラ
1985(昭和60)年04月 オリンパス XA3
クォーツデート
D-Zuiko
35mm F3.5
135
(35mm)
35mmレンズシャッターカメラMF
1985(昭和60)年04月 オリンパス XA4 マクロ
クォーツデート
D-Zuiko
28mm F3.5
135
(35mm)
35mmレンズシャッターカメラMF
1986(昭和61)年07月 オリンパス OM-4Ti G-ZuikoオートS
50mm F1.4
135
(35mm)
35mm一眼レフカメラ
1986(昭和61)年10月 オリンパス OM707 AF 50mm F1.8 135
(35mm)
35mm一眼レフカメラ
1988(昭和63)年02月 オリンパス OM101
パワーフォーカス
AF 50mm F1.8 135
(35mm)
35mm一眼レフカメラ
1994(平成6)年11月 オリンパス OM-3Ti G-ZuikoオートS
50mm F1.4
135
(35mm)
35mm一眼レフカメラ
1997(平成9)年10月 オリンパス OM-2000 S-Zuikoオートズーム
35-70mm F3.5-4.8
135
(35mm)
35mm一眼レフカメラ

 

この広い世界で自分だけ??

この広い広い宇宙で、私たちと同じ知的生命体は存在するのだろうか?
地球外生命体はあるのか、それともないのか?
もし我々だけが特別な存在だとしたら、なんとも虚しい閉塞感と寂静感にさいなまれることだろう。

などと詩情的な言いまわしから書き始めたのだが、ふいにそれと似たような気持ちになることがある。

私以外にも OM-SYSTEM オールドZUIKOを熱烈に愛する人はいるのか?いないのか?
もし私ひとりだけだとしたら、なんと虚しく閉塞感と寂静感にさいなまれることか・・・。

私は撮影会でも、高速なAFで高い解像度が期待できる最新のレンズは(幾つか持ってはいるが)使わない。
α7mkIIにアダプターを付けてオールドZUIKOで撮影だ。もちろん最新のレンズの方がいい写りになるのはわかっている。失敗もないだろう。

だが、、なんというのか、おもしろくないのだ。

失敗しないより失敗があるほうがいい。
失敗があるからよい絵を作れるためのスキルが磨かれるはずだ。

α7mkII + zuiko50f1.8そしてなによりも「撮影する悦び」があったほうがいい。
オールドZUIKOをいじり・活用することそのものが私にとっての悦びだ。

これまでいろいろなレンズを試してみたが、各メーカごと、年代ごと、種別ごとにそれぞれ癖がある。
その癖を体で覚えて、状況に応じた対応をしてみせる。
そういう活動が「撮影する悦び」なんじゃないかなと考えている。

よりいい写真、より凄い写真を目指したいが、そういう中に悦びがなければいけないのではないか。

という私の意見はもしかして他の人に理解されるのだろうか。

近年はスマホで撮影が簡単にできる。しかもいっちょ前に優れた写真が撮影できちゃう。
その現象が原因だろう、最近はカメラが売れなくなったらしい。

そこら中のだれもがカメラマンになれる時代なのだが、私が思う「撮影する悦び」を理解できている人はどれほどいるのだろう。

ともかく、人類が遠い空の向こうに自分たちと同じ生命体の仲間の存在を欲するように、私も、自分と同じ価値観を共有できる仲間の存在を確認したいものだ。

そういう自分と共感できる人にこのサイトの情報を共有していただきたいとかんがえている。
まだまだ完成までの道のりは遠いのだが、仕事の合間でコツコツ作っていくので応援してほしい。

ということで、共感する人がいたら是非コメントいただきたい!

 

ということで、Facebookのグループを始めました。OMマニアな人ぜひご参加ください!
https://www.facebook.com/groups/omzuiko/

ZUIKO 35-70mm F3.5-4.5

こちらの思い出深いレンズを紹介しょう。

S ZUIKO AUTO-ZOOM 35-70mm F3.5-4.5

S ZUIKO AUTO-ZOOM 35-70mm F3.5-4.5

S ZUIKO AUTO-ZOOM 35-70mm F3.5-4.5

S ZUIKO AUTO-ZOOM 35-70mm F3.5-4.5

これは私が高1の時に最初に買ったレンズ。
OM10とのレンズキットについていたのだ。
意外と評価は高く、よく映るし、小さく、軽くて軽快だ。

「S ZUIKO」というように頭に「S」がついているのは、サードパーティのS
つまり他社のOEM製品ということ。
コシナ製なのだとか。なるほど写りの良さは納得だ。

今では評価も良いし満足しているのだが、購入当初の私はあまり満足していなかった。
F値は大きく暗いし、筐体がプラスチックで安っぽい。なによりも純正でないというのが気に食わなかった。
当時は明るいレンズにあこがれていて、ずっしりとした金属で大きなレンズを得たい願望があった。

だが、今では評価も180度変わったものだ。
ボケはあまりないものの、ズームであってこれほどの小ささ、軽さ。そして解像度の良さに程よいコントラスト。
やはり最高の一品だ。

このレンズの存在がきっかけとなってZUIKOファンからコシナファンへ。そして様々なメーカのレンズに興味を抱くようになってレンズの沼にはまっていったのだ。。。

マレーシアの空港からクアラルンプールへ続く高速道路のバスの車窓から見えた夕焼け。オールドでも十分にとっさの撮影に対応できた。

マレーシアの空港からクアラルンプールへ続く高速道路のバスの車窓から見えた夕焼け。オールドでも十分にとっさの撮影に対応できた。

こちらもバスの車窓からとっさに撮った、民家の窓。家族の幸せが伝わってきている。時速100キロ超の車窓から夕暮れにとったにしては解像度が高い。

こちらもバスの車窓からとっさに撮った、民家の窓。家族の幸せが伝わってきている。時速100キロ超の車窓から夕暮れにとったにしては解像度が高い。

こちらもマレーシアのクアラルンプールへ続く高速道路にて

こちらもマレーシアのクアラルンプールへ続く高速道路にて

ペトロナスツインタワーは、ライトアップされて絶景で歴史の浅いクアラルンプールという街の観光スポットの1つになっている。夜景もごらんのとおり。

ペトロナスツインタワーは、ライトアップされて絶景で歴史の浅いクアラルンプールという街の観光スポットの1つになっている。夜景もごらんのとおり。

ペトロナスツインタワーの真下にある、噴水ショー。 昔は「暗いレンズ」と嘆いていたが、デジタルの現在はISO感度も6400までは問題なくつかえて、とてもきれいだ。

ペトロナスツインタワーの真下にある、噴水ショー。
昔は「暗いレンズ」と嘆いていたが、デジタルの現在はISO感度も6400までは問題なくつかえて、とてもきれいだ。

東南アジア最大のショッピングモールにて。

東南アジア最大のショッピングモールにて。

オールドレンズを扱うのはやはり大口径で単焦点でというのが定番だ。
だがあえて、ズームで暗いレンズを使ってみるといい。意外と使えるものもあるということだ。
わかったのは35-70の定番といえる2倍ズーム程度で、暗めのレンズであれば、80年代のオールドレンズであっても能力はそこそこいけるってことだ。

コシナさんいいレンズをありがとう。